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2001年1月7日

七草です。年賀状を出さなかった人に慌てて返事を書いたり、年賀はがきの予備が切れて仕方なく普通の官製はがきを使ったり、プリントアウトしようとしたらインク切れだったり、そういうこともようやく一段落ついたことと思います。
年賀状と言えば今年、ちょっと話題になったのが、「ポストカプセル郵便」とかいうやつですね。
1985年の筑波万博会場で出した郵便が、2001年1月1日に届くと云う企画で。保管している16年間で、転居、本人死亡、その他もろもろを管理するのが大変だったとか。

実はわたくし、この「ポストカプセル郵便」に関して特別な思い、いや、妬みにも近い感情を抱えているのでございます。
筑波博から更にさかのぼる、1981年の神戸ポートピア博覧会。小学校6年生のわたくしは、たまたま修学旅行でこの会場に行ったのでした。そこに、4年後の筑波万博を紹介したパビリオンがあり、「ポストカプセル郵便」に良く似た企画があったのです。
まず、複写機で自分の手形をコピーし(カラーコピー等であるはずはなく、手形と云っても真っ黒)、そこに住所、氏名、自分宛の簡単なメッセージを記入して係の人に渡すと、4年後、その手形と一緒に、筑波万博の案内状が届くと云うものでした。
わたくしは、筑波万博の事よりも(だって広島から遠いし)、自分が描いた手紙が4年後に届くと云う、それ自体何か物凄く素晴しい事のような気がしていて、わくわくしながらその日を待ったのでした。

ところが。

それから3年後に届いた1通の郵便物は、それとは全く違うものでした。何故か「切手で綴る万博」とかいう、過去の万博を、当時発行された切手を交えて紹介した小冊子、そして、手紙。
「手形コピーをどっかに失くしました。申し訳ございません」といった内容が書いてありました。
そりゃあ悲しいの腹立たしいの、たった3年の間に、膨大な量の手形コピーを、どこへ失くしたと云うのでしょう。
しかしどこへ言ったところで手形が出てくるはずもなく。そうこうしているうちに筑波万博は開催されていくのでし た。
そしたらあなた、その会場でまた似たようなことをやっているじゃないですか。
しかも今度は16年後。大丈夫かよと思いましたが、どうやら大丈夫だったようですね。ポートピアでの失敗が教訓になったか、そう考えれば少しは慰めになるかも。

…それにしても、焼却されてなければ、日本のどこかに物凄い量のコピー紙(しかも真っ黒な手のコピー)が眠っていると思うと、なんかSFですね。22世紀くらいになって発掘されたりして。
そりゃあちょっといい話かも。


2001年1月22日

仕事帰りのバスの車中で聞いた、3人の某高校2年生男子の会話。
「ばーか、お前のかぁちゃん出べそ!」
「うるさぁのう」
「あっ、お前のかぁちゃんほんまに出べそなんか?」
「おお、じゃあ出べそでええわい」
「そういやわし、へその緒がないんよ」
「なんで」
「わし産まれてすぐ手術したんよ。で、手術の残骸と一緒に処分したゆうてかぁちゃんが言いよった」
「やっぱり、へその緒あった方がええか?」
「いや別に欲しゅうはないけど、やっぱり『産まれた』ゆうのが残るじゃぁ」

−−あった方がいいらしい。彼にとっては手術の傷より深いとみた(泣)。

「○○(注:彼等が通う高校名)で可愛い思ぅとった子が、街なかで見たら大した事なかった」
「○○(注:彼等が通う高校名)の中じゃったら可愛いんか」
「そうそうお前、『ランチマ』ゆうあだ名のやつ、知っとるか?」
『ランチマ』ゆうて、知らんで」
「いっつもランチばっかり喰いよるやつ」
「あぁ!!、知っとる知っとる、柔道部のごついやつか」

−−どうやら 『ランチ魔』ということのようだ。

「ところで君ら2人も、彼女ぐらい作れや。17年生きてきて、彼女おらんのも寂しかろう」
「うるさぁわ。お前1人で勝手に作れや。」
「お前、彼女最近見んが」
「続かんかった。新記録よ。1週間。けっこう長いで。…長ぅない長ぅない」
「△△(注:彼等の同級生らしい)は、結婚したら子作りに専念しそうなのう。10人位作るんじゃないんか?」
受精率が高いらしいで」
「お前こんなとこでそんな事ゆうか?」

−−しかも大声でね。

…君らの前の席で黙って聞いていた、毛糸の帽子はわたくしです。ネタにしてすまんね。
(名誉の為、学校名はふせといたので、許してくれたまへ)
日本の大半の「17歳」って、昔とあんまり変わってないじゃん、と確信した1日でした。

それにしても「お前のかぁちゃん出べそ!」 って…。


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