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2007年10月19日

人に口頭でものを説明するのが大の苦手なわたくしは、マンガやドラマなんかでよくある
「実はね、ひそひそひそ」
「えええええ!?」
とか、
「あれは去年の今頃だったわ…(ぽよよよよんと回想シーン)」
「そ、そうだったの」
とかいうシステムが、便利でいいなあとつくづく思うのだ。


2007年10月21日

小学6年生から中学生の頃まで、中島みゆきを聴いていた。
小学6年生と云えば昭和56年、1981年、寺尾聰の『ルビーの指環』の年である。第2次性徴期が始まり初潮も済ませ、うーんもうオトナの入り口だし何だか年相応のモノって子供じみててやだわーとか思ったわけでもないだろうが、その頃に手に取った月刊『明星』の歌本で中島みゆきの『悪女』を知った。
『マリコの部屋へ 電話をかけて 男と遊んでる芝居 続けてきたけれど』
という歌詞のシチュエーションがさっぱり理解出来なかったが、何だかこの曲は良いな、と思ったのがきっかけだった。
その頃からラジオにのめり込み、中島みゆきの「昔の」曲を聴く機会があった。
『途(みち)にたおれて誰かの名を 呼びつづけ【わかれうた】』てたり、
『冬の雨に打たれて あなたの足音をさが【ひとり上手】』したり、
『ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかった【うらみ・ます】』とか言っていたり、
うわうわ何だこの歌は?と戸惑いつつ、こんな曲を聴いてる11歳って何かイカす♪とか思ったわけでもないだろうが、その後中学校に上がり、周りに溶け込めずにプチいじめ食らっていた身に、中島みゆきの歌はすいすいと染み込んでいったのだった。
「毎日こんなに辛くても、もっと辛い人がいるのだ。こんな人と比べたらまだましだ」とか思っていたのです中島みゆきを聴きながら。
やですねこんな中学生。
LP(LP!)『予感』ラストの『ファイト!』でさえも、「どうよこの心もとないさま!」と悦に入っていたのだ。
やですねこんな中学生。
それから程なく「中島みゆきのオールナイトニッポン」を知り、歌としゃべりのギャップに昇天しそうになったものだった。
その後も心の拠り所(=自分より不幸な人)を求めて、中島みゆきのLPが出る度に、予約してまで買い求めていた、
のだが。
中学3年のある日。その年発売されたLP『はじめまして』を聴いて愕然とする。
曲調が違う。
歌い方が違う。
タイトルチューンの『はじめまして』。
『はじめまして明日 はじめまして明日 あんたと一度つきあわせてよ』
何だこの前向きさは、何だこのこの力強さは。
途端に拒絶反応が起きた。
わたしはこんな歌を聴きたかったのではない。
もっと不幸な、もっと弱々しい、もっと救い様のない歌を歌う中島みゆきを求めていたわたしは、途端に居場所を失った。
そしてその瞬間からわたしは中島みゆきを聴かなくなった。
その後一人暮らしを始めるに当たって、それまで買い集めていた中島みゆきのLP全てを「置場がないから」ということで二束三文で売り払ってしまい、その後元号が代わり、ミレニアムを越えても中島みゆきの歌を聴く事はなかった。
そして20歳を越え30歳を過ぎ、37歳のある日。
仕事の付き合いでカラオケ会に参加した日の事。
何曲か歌ったところである人が「その声で中島みゆきを歌って下さい」と言われた。
『地上の星』でさえもまともに聴いたことがなかったので、『ファイト!』を歌った。
大いにウケた。
20年以上前の曲なのに、何だこの新鮮な感触は?と思った。
中島みゆき、いいじゃんと思い、そして20数年ぶりに解禁。
『地上の星』は、カラオケで誰かが歌ってるのを聴いたのではぶくとして手始めに、生涯初めての音楽ダウンロードで『空と君のあいだに』と『糸』をゲット。
iPodに取り込んで聴く。
号泣。
何だ何だこれは。
TVの番宣でサビしか知らなかったけど、こんな曲だったのか。
こんな曲を今まで聴こうとしなかったのか。
正直すまんかった中島みゆき。これから真面目に聞きます。
…って、聴かなくなってから10年以上。シングル何曲、アルバム何曲取り過ごしてきたのか。
あうあう。
とりあえずがんばります。


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