物言い三昧<<<物言い一覧


2013年4月10日

貧乏な主人公が出てくる歌の中に、煙草がどうしたこうしたと云う歌詞が出てくると
「煙草買う金はあるんじゃん」
と考えてしまう私は、おそらく一生歌ごころというものを理解出来ないのであろう。


2013年4月17日

恥ずかしながら、四十余年生きてきて今まで「人の死」というものに真正面から向き合ってきたことがない。
いや、お葬式はいくつか出た。亡骸に手を合わせたこともある。ただ、いずれも「誰々さんが亡くなった」と聞かされてからのことで、今まさに死にゆく人という存在を今だに知らない。
人の生活の中で、「死」を間近に捉える事ができるのは「ペットの死」だろう。人間とペットを同等に扱うな!という向きもあるかもしれないが、ここはそういう問題ではない。
子供の頃から家には何かしら愛玩動物がいた。物心ついて実家にいたのは巨大なボクサー犬。顔かたち吠え声まで全てが恐ろしくて、今となっては何でこんなもん飼ってたんだよ!と突っ込みたいところだが、それ以降うちの実家には歴代何頭もの犬が当たり前のようにいて、みな病死もしくは天寿を全うしていた。
ただそれらの死にゆく姿、死んだ姿を見たことはない。子どもに見せてもらえなかったのもあるが、何となくおそろしいもの、として刻み込まれ、気がついたら親の手で裏の畑に埋められていて、子どもはそこに手を合わせて死を悼むものであった。
初めてペットの死を目の当たりにしたのは、小学生の時に飼っていたセキセイインコだったか。今朝まで元気だったのが学校から帰るととまり木から落ちて固くなっていた。親は仕事に行っていて自分ひとり。どうすればいいか分からぬが、何となくこのままでは可哀想で埋めてあげなければいけないと思い、震える両手で亡骸をすくい上げ、庭の隅っこに埋めて手を合わせてひくひくと泣いた。
しかしこれも「既に死んでいた」ものを見ただけに過ぎず、これまでで唯一、ものが死にゆく様を見届けたのは15年飼っていたイグアナである。
高齢&冬の厳しい時期に骨折をさせてしまい、日に日に弱っていく緑色のトカゲ。いつからか排便が出来なくなり、食欲もなくなっていく。中南米原産のいきものにとって過酷な日本の冬。そうしたある日、前日とうって変わって暖かな朝。体を持ち上げると全く筋肉の抵抗がない。死んでしまったかと思ったがわずかに瞬きをしていてゆっくり呼吸をしている。しかしいずれにせよもうこれ以上無理をさせるべきではないと判断。日当たりの良い場所でたっぷり日光浴をさせてほかほかにし、じっと様子を見ていた。1時間ほどしたところでまぶたが力なく下がり始めた。「眠いのか?」と考えたかったがそれは違った。イグアナは本来、眠るときは下まぶたから上に向かって閉じていくのだが、今は上まぶたが静かに閉じているのだ。ああ、これはもう最期だなと思い、顔をよく見ておこうと反対側に回ると、左まぶたは既に完全に閉じられていた。あっ!と思ってもう一度戻ると右目はまだ半開きで眼球が見えている。私が見ている側の目だけ最後まで開いていたのだ。どうせもう意識はなかったであろう。単に左目側が眩しかったのかもしれない。単に左側の筋肉が先に弱まっていたのかもしれない。しかしそれもやがて静かに下がっていき、お昼前に完全に目を閉じて逝ってしまった。
初めて看取ったのがグリーンイグアナってどうよ!という向きもあるかもしれないが、ここはそういう問題ではない。
「死ぬ瞬間ってどうやって分かるの?寝てるだけかもしれんじゃん?何かグラフがピッピいってるのがぴーーーーって言わないと分からないでしょ?」と思っていたが、どうやらそうではないのだ。何となく何かがすーーーーっと消えていく感じなのだ。何がどうと言われてもそういうものなのだ。あれはちょっと得難い経験をしたと思う。
ついでに言うと、その後ペット霊園に連絡をして、きれいにお骨にしてもらったのも初めてである(だって実家の畑みたいに気軽に埋められないし)。そして死んでしばらくも、怪我をしなければもっと生きていたはず。もっと方法があったはずと自分を責めた。
でもね、いつかみんな死ぬんだし。普段からそれを頭に入れてきちんと生きていかなければいけないなとその時思ったんだけどいざ改めて断捨離とか遺言とか預金通帳の残高とかクレジットカードの暗証番号とかwebサービスの各アカウントとか自動引き落としとか何より死んだ後web布団草子どうするよ!?とか考えるとどっから手をつけりゃいいのか分からなくなってついポテトチップス瀬戸内レモン味に舌鼓を打ってしまう春。


2013年4月22日

認知症や死の床に臥した人が時おり意味不明な事を口走り、時に乱暴な口調になるのを見て、「人格が変わってしまった」「こんな人じゃなかったのに…」と家族がショックを受けるというエピソードを聞く度に、「いや、酔っぱらって理性のタガが外れるのと同じでそれがその人の本質なんでしょ」というのが私の考えだった。

身近な人のそんな姿を目の当たりにするまでは。

「せん妄」状態は、医学的にも定義された脳の機能障害であるという説明を受ける。
難しいことは分からないが、自分がしたい事、自分にしてほしい事、自分の気持ち、快・不快感、それを言葉にする事、訴える事…、その全てのリンクが切れてしまって、気持ちと行動の乖離が激しくなった状態なのだろうと、自分なりに解釈してみる。
そりゃ家族はもちろんだけど当の本人も苦痛だろう。苦痛と理解出来ているかは分からないが、確実に迫る死の恐怖に加えて自分自身がコントロール出来ない状態。さぞ苦しくて怖くて寂しいだろう。それを紛らわせる為に「せん妄」という段階に入っているのではないか。
受け入れるのもなかなかキツいけど、受け入れるしかないのだな。せめて穏やかに時が過ぎてくれることを祈る。


<<<物言い一覧