物言い三昧<<<物言い一覧


2021年01月20日

「相撲道」
横川シネマでドキュメンタリー映画『相撲道』を観てきた。

新型コロナウイルスが猛威を振るうわずか1年ほど前の大相撲の日常が広がっている。
少し前までのあまりに当たり前だった風景、 国技館は満員御礼だし地方巡業もあるし、誰もマスクをしていないし消毒液も置いていないしお正月の餅つきもあるし、何よりも竜電の隣に付け人の勝武士がいる ―。
よくぞこの時のこの空気を残してくれたと思う。撮影が1年ずれていたら全く違うドキュメンタリーになっていたはずだ。

スポットが当てられるのは境川部屋と高田川部屋。
日々の厳しい稽古風景と飾らない力士たちの声。必要最低限の落ち着いたナレーション。

…正直なことを言うと、これまで境川部屋にはさほど思い入れを持っていなかった。
個性的で魅力的な力士は多いし親方は男臭いし硬派なイメージがとても良い。でも頭のどこかでは「だってみんな最初から強いじゃん。学生相撲じゃん。埼玉栄じゃん」と思っていたのだ。※註:境川部屋の埼玉栄高校出身力士はそんなにいません。
映画を最後まで見て、その考えが間違っていたと気がついた。
土俵に上がったらそんなもん関係ないのだ。生まれついて持った才能があったとしても、それだけでどうにかなる話ではないのだ。
境川部屋のあの稽古風景を見よ。その場にいなくても息が詰まる、あの火の出るような稽古場を。たとえエリートであろうとあの修羅場をくぐり抜けて来たのだ。

そして何より、豪栄道の格好良さ。
何せさほど思い入れを持っていなかったばかりに、表情や伝え聞く行動や言動や手書き文字などから下手すれば「キャラ」としてしか見えていなかった。
「カッコイイとは、こういうことさ。」とはああいうことさ。
ああ本当にもったいない。
しかし悔やんでももう手遅れで、豪栄道は土俵を降りて年寄・武隈になってしまった。
映画を見た直後の献血ルームで大相撲中継を見ていたら花道奥に武隈親方が座っているのが見えて、血を抜かれながら涙が出てしまった。

ともあれ、あのスクリーンの中の世界と比べて失ったものが多すぎる。
今このときも新型コロナウイルスに感染して部屋で待機している力士がいる。九重親方はじめ数名が入院との報が入ってくる。元通りにとはいかなくてもまたあの場で大相撲を見ることが出来るのだろうかと眼の前が暗くなってしまう。
ただ、エンドロールの後の最後の一文にかろうじて救われるのだ。

 ーー世界が大きく変わろうとも 相撲道は揺るがない。ーー

大相撲は、少しずつ変わりながらずっと変わらずにあり続けるのだろう。これからもきっと。

そして白菜は美味しい。


<<<物言い一覧